2012年03月10日

必死であること

P1010887.JPG


某組に属している。
「組」と名乗っていても、もちろん裏社会の組ではなくて、表向きは「異業種交流会」とでもいえばかっこいいのだが、実際は月に一度くらい集まって、なんの実りもなくただ飲んで騒ぐだけの、ま、いわば「深酒法人」みたいなものである(笑)
みんなそれを楽しんでいる。

組員は百名を超え、職業は様々。
僕のようなモノつくりもいれば、会社経営者、美容サロンオーナー、インテリアコーディネーター、盆栽作家(←誰かわかっちゃうw)、美容師etc・・自分自身でやっているひとが多いが、会社の中で着実にキャリアを積み上げてきた人もいる。
要は、本当にバラバラな人たちが集まる。
でもここの人たちとの空間はとても心地よい。
何故ならみんな「必死」な人たちだから。
会合の時は呑んで、はじけ飛んで、必死さなんてみじんも感じられない人たちばかりだが、みんなそれぞれの世界で「プロフェッショナル」なのである。
で、「プロフェッショナル」は誰でも「必死」である。
プロというのは、それで食べている人のこと。
見せる人も、見せない人もいるが、どんな有名人であっても、プロはいつでも崖っぷちに立っていて、自分自身のスキルや、感覚を信じて「必死」に戦っている。

僕のやっているやきものだって「陶芸家」と名乗ることは誰にでもできるけど(僕はポリシー上「陶芸家」と自分からは言わないが)、プロフェッショナルという意味での「陶芸家」は食べることに必死である。
この「必死さ」がない人はプロとは言えないと思う。
(ただ、他の仕事をしながらでも、必死にやきもので何とか食べていこうとしてるのは、それはそれでプロといえるかもしれない。)

酔っぱらって、正体不明になったり、カラオケでくねくね踊りながら絶叫してたり、いつもそんな感じだけど、ここの人たちとは、根っこの部分で自然と通じるところがあるのだと思う。
まじめな話なんて、殆どしないけど、それで十分なのだ。

見せようが見せまいが、僕は「必死」なひとが好きである。



posted by Nobuhiko Tanaka at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | よみもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月12日

たまたま

DSC00253s.jpg

「ものつくり」、特に個人作家として、それで食べていくのは中々に大変なことである。
やきもの(陶芸)はその中ではまだ恵まれているとは思うが、ご時世がら難しい状態にある人もたくさんいる。
僕は独立して17年、おかげさまでなんとか、やきもので食べてこれている。
威張れるような人気作家でもないし、名前が売れてるわけでもないけど、その間、右肩下がりになることはなく、まあ非常にゆっくりではあるが、少しずつグラフは上を向いている。
でもそれは、決して自分ひとりの力じゃなくて、たくさんの出会いがあったっからこそ。
そこから色々なことがつながって今に至っている。

一つ、僕の中での大きなターニングポイントとなった出会い。
独立して5年目くらい、伸び悩む自分自身に焦りを覚えていた。
当時は公募展などにも積極的に出品していたのだが、ある公募展の会場で僕の作品を某ギャラリーのオーナーが「たまたま」見て気に入ってくれて、後日連絡をいただいた。
ちょうど、新宿伊勢丹でのクラフトフェアの出展作家をさがしていたらしく、その方のおかげで、僕はそれに参加することができた。
で、ちょっとばかり成績が良かったからバイヤーさんから、和食器売り場での個展の話をいただき、以来約10年新宿伊勢丹での個展は現在まで、ほぼ毎年続けることが出来た。

その間、またそこから新たな出会いがあって、新しい仕事に結びついて、またそれが広がって・・・と、そのひとつの「たまたま」の出会いが今の自分の仕事を支えてくれる源流になった。

出会いって殆どが、「偶然」「たまたま」なのだと思う。
でも何の仕事でもそうだけど、結局その「たまたま」から大きな流れが出来上がっていくことが多々ある。
じゃあ、「偶然」「たまたま」って待っているしかないのかというと、決してそうじゃない。
それを呼び寄せることはできると思うのだ。
僕自身の例でいえば、公募展というたくさんの人が見てくれるものに出品していたからこその「たまたま」であって、家で作っているだけじゃ「たまたま」がおこる確率は果てしなく低くなってしまう。
だから、とにかく動かなきゃいけない。
もちろん作品のクオリティーが一番大事だけど、そのクオリティーを「たまたま」見つけてもらえるように動くしかない。

スタートしたばかりの若い作家さんたちに、老婆心ながら、少しばかりのエールです。
応援してるよん、Mくん(^^)



posted by Nobuhiko Tanaka at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | よみもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月04日

坊主

17018972.jpg

2003年の年末。渋谷の、とある「村」で「クリスマスギフト展」なる企画展が行われて、僕も声をかけてもらい出品した。
当時の僕にとっては、とある「村」(まるわかり・・(笑)での展示というのはとても魅力的で、他の企画を断って参加を決めたこともあり、相当気合を入れて制作した。

会場は結構広いスペースだったが、参加した作家が多分20人くらいはいたから、一人当たりの展示スペースは180×90センチくらいと決して広くはなく、初日の前日、僕は30~40点くらいの作品を車輪のついた大きなバッグにパンパンに詰め込んで、電車を乗り継いで「村」の会場に搬入・展示した。
まあ、作品も悪くないし、展示もきれいに決まった。
「いい感じだ。いけるな〜、これは。」
ちょっとした高揚を感じながら僕は自分の展示ブースを眺めた。

会期は1週間だったろうか、色々と用事があって、結局最終日まで会場には行けなかった。
僕は小心者なので、個展の時なども、途中の売り上げを聞くようなことをほとんどしない。
この時も搬出に行くときまで、売り上げについて問い合わせをすることをしなかった。

搬出の日、搬入の時に使ったバッグを携えて渋谷の坂を登っていく。
どれくらい売れただろうか、もしかしたら僕の展示ブースには、ひとつふたつの作品がぽつんと残っているだけかも(ニヤニヤ)。こんな大きなバッグ持ってこなくて良かったかなあ。
妄想が年末の渋谷の街にキラキラと広がっていく。

会場に着いて、展示ブースを見ると・・・それは「デジャブ」だった。
搬入・展示した時と寸分の違いもない。全く一緒。
全身の皮膚の表面がなんか知らないけどぴりぴりした。
そのあとに訪れるモーレツな虚脱感。

一つも売れていなかった・・。
いわゆる「坊主」である。「いよっ、大僧正 」って叫べるくらい立派なボウズだ。
残った(というか、全部なんだが・・)作品をバッグに詰めていくと、搬入の時と同じようにパンパンになった。
搬入の時より倍くらい重たく感じるバッグに引っ張られるように、坂を下っていく。
ほんの少し前、キラキラときらめいていた僕の妄想は、若者たちの雑踏に踏みつけられて粉々に砕けていた。

この仕事を長くやっているけど、ここまでのことはこの時だけ。
別に坊さんに恨みはないが、こういう「坊主」とは二度とかかわりたくないなあ(笑)
10年ほど前の思い出話でした。
posted by Nobuhiko Tanaka at 21:44| Comment(2) | TrackBack(0) | よみもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月01日

上手くはないんだな。

同じやきものの作家と話していて、京都の訓練校(通称。正しくは京都府立陶工高等技術専門校)を出た、というと、「じゃあロクロうまいんですね」とよく言われる。
実際には、ロクロがうまいから、いい作品が出来るかというと、そういうことでもないのだけど、京都の訓練校のロクロを学んだ人は、きっちりとしたものを作れるのは確かだと思う。
せっかくなので、どんなふうに練習するのかという一端をご紹介。(20年以上前のものなので、今はちょっと変わっているかも)

P1060020.JPG

まずは、作る品物の実寸通りの図面を描く。
(上と、横からの形、焼きあがりの口径・深さの数字と水挽きの時の数字)

P1060019.JPG

その図面通りのコテ、2種類を作る。
写真の上が土を伸ばす時に使うダンゴゴテで、土に触れるところは丸みを帯びていて、R(曲線)は仕上がりよりも甘いカーブ。
下が、仕上げに使うハネゴテ(違った?あいまい・・)で、先端が薄くなっていて、Rは図面と同じで、最終的に形を決めるときに使う。

P1060021.JPG

寸法通りに作るためのトンボを竹で作る。
口径と、深さを同時に測る道具。(わかりづらい写真になってしまいました)
これらの道具を使って、ミリ単位でサイズを合わせて、決められた数を作っていく。
(この道具や、やり方はあくまで京都式で、各産地でかなり違います。)

うーん、こうやって説明すると結構な準備が必要だなあ。
でも自分が今、これをやっているかというと、全くやっていません(笑)
なぜなら基本的にこれは、製陶所で職人が同じ品物を量産するための技術。
今の僕のような、少量多種生産の個人作家がやる必要がないのだ。
さらに僕は、ずぼらなので、「作品にはスキがあったほうがいいのだ」という大義名分で、
サイズが多少違おうと、ロクロ目が残ろうと、少し口が波打とうと、削りでちょっと飛び鉋みたいになろうと気にしない。
実はあまり、ロクロはうまくないのです・・わはは。

訓練校の先生が泣くなあ・・・(笑)


posted by Nobuhiko Tanaka at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | よみもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月27日

何かが生まれるときに

P1050836 - コピー.JPG

前に、糸井重里と中島みゆきの対談を読んだことがある。
糸井氏が聞き手として、インタビューするような形だったと思う。
その中で、非常に面白くて忘れられない会話があった。
(一つ一つの言葉の詳細までは覚えていないので、あくまで大意として読んでください。)

中島: 逆に聞き手の方に質問したいのですが、よく「どういうときに歌が出来るんですか?」って
    訊かれるんですけど、それって聞いてどうするんですかね?
糸井: それは、人間って「無と有の”継ぎ目”」にとっても興味があるんですよ。

糸井氏の視点はすごいと思う。さすが言葉を生みだすことで生きてきた人だなあと思う。
何もないところと何かが生まれたところの「継ぎ目」、それを人は見たいと思うらしい。

糸井・中島両氏とはあまりにレベルがかけ離れているけど、僕もよく、「どういうときに作品を思いつくのですか?」と聞かれることがある。
きっと、何かを作らない人から見ると、どういうふうにしてモノが生まれるんだろうと、その瞬間が知りたいのだ。

でも作っている側からすると、無意識に、昔からずっと、見てきたものや、触れたモノ、聞いたことそれらがミックスジュースのように、自分の中で混ざり合って体に吸収されて、いい具合に寝かされてふわっと掌に現れるようなもんじゃないかと思う。

だから、中島氏もどういうときに?って訊かれても答えようがなくて、逆に、「どうしてそんなことを聞くのだろう」って思ったんじゃないかなあ。

また聞かれたときにうまく答えられるといいな。

posted by Nobuhiko Tanaka at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | よみもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月20日

東日本大地震によせて 〜 福島 1978


P1050344.JPG











どんな言葉を費やしても、上滑りになってしまう。
なので、僕の中に生きる福島の思い出をひとつ。

* Fukushima 1978 *

僕の家には住込みのお手伝いさんがいて、僕と兄は何

故か「おばちゃん」と呼んでいた。

「大野木ヤエ」というちゃんとした名前があるのに

「大野木さん」とか、「ヤエさん」と呼ぶことはな

く、幼稚園のころに初めて会ったときからずっと「お

ばちゃん」だった。

父が洋菓子会社を経営していたので、母はよく会社を

手伝いに行くことがあり、そんな時は「おばちゃん」

が僕たち兄弟の世話をしてくれた。


続きを読む

posted by Nobuhiko Tanaka at 11:19| Comment(10) | TrackBack(0) | よみもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。